2019年08月27日

奥州道中白沢宿 その31

白沢宿は新道の陸羽街道(国道4号「奥州街道」)からそれているので宿場らしい街並みを期待したけど、道路改修をしているので古そうな建物は見当たりません。
しかし、高砂屋のはす向かいに格子戸のある旧家が残っています。
住吉屋で、街道沿いの母屋は大正14年(1925)に建てられたもの。
その奥に納屋と石蔵2棟があり、そのうちの1棟が明治28年(1895)のもの。
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2019年08月15日

奥州道中白沢宿 その30

枡形を左折するとすぐ右手に福田脇本陣があったはずだけど、今はどこなのか?分かりません。
その代わり?高砂屋太田家(旧白澤病院)に明治天皇御休之所碑が建っています。
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案内板はないけど、明治9年(1876)の奥羽巡幸&明治14年(1881)の東北・北海道巡幸の際に小休所となっています。
鬼怒川を渡るため、明治天皇は馬車から輿に乗り換えたそう。
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2019年08月03日

奥州道中白沢宿 その29

鬼怒のたまり漬を商う水戸屋を横目に白沢宿交差点を突き当たり…ってゆーか、枡形を左折します。
右折すると岡本街道で、宿内に岡本街道口バス停があります。
『奥州道中分間延絵図』によると、往時は街道の中央に水路が流れていたけど、今は道の両側に移されています。
白沢宿〜白河宿の奥州道中十次の中でも、白沢宿は越堀・白坂と並ぶっちゃな宿場で、この3宿には市も立ちませんでした。
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2019年06月25日

奥州道中白沢宿 その28

地藏堂から薬研(やげん)坂を下ると、大きなエノキの下に江戸時代の公衆便所跡があります。
裏に回ると肥桶が置いてあります。
なるほど、堆肥を確保するための便所だったんだね。
屋根がトタンで現代の造りだけど、平成時代の公衆便所ではありません。
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『奥州道中分間延絵図』では坂の途中から宿場が始まるので、この辺りが白沢宿の入口。
民家の軒下に屋号を掲げてあるのでテンション上がるね〜。
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2019年05月26日

奥州道中白沢宿 その27

白沢歩道橋のある名無し二又交差点で県道125号白沢街道は左に曲がるけど、旧道は真っ直ぐ進みます。
満開のコブシや、日光道中でも見た勝善神(馬頭観音)を横目に進むと、桜満開の白沢地藏堂があります。
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稚児坂で亡くなった伊沢家景の子を埋葬したところ。
境内には古い五輪塔や宝篋印塔をはじめ、お地蔵さまや馬頭観音など、石仏がいっぱい。
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2019年05月24日

奥州道中白沢宿 その26

稚児坂を10mほど上ると台地の上です。
民家が途切れて林の横を通り過ぎます。
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往時はやはり松並木が続いていたようだけど、台地で田畑もなく、寂しいところだったでしょうね。
昭和初期のスタ大地図にも並木が描かれているけど、周りは広葉樹&針葉樹の記号だらけ。
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2019年05月21日

奥州道中白沢宿 その25

立場を過ぎると往時はまた松並木が続いていましたが、現在の白沢街道は殺風景。
しかし、しばらくすると並木が登場します。
桜を含めていろいろ茂っている雑木並木だけど、それでも往時を偲べて気分が盛り上がるね〜。
しばらくすると桜並木の上り坂で稚児坂があります。
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建久年間(1190〜98)に伊沢家景が奥州総奉行として奥州の任地に向かう途中、この地で同行の子が病気で亡くなりその名が付きました。
稚児坂の手前にあるバス停が何故か?「稚ヶ坂」だけど、この辺りで旧河内町(かわちまち)の白沢町に入り、白沢宿はもうすぐです。
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2019年02月14日

奥州道中白沢宿 その24

白沢街道に戻ると小林家に感恩報コ碑。
水不足で貧しかった海道新田村に用水路を開削し、新田開発に務めて村の発展に大きな貢献をした小林清次郎の顕彰碑で、慶応2年(1866)に建てられました。
台座に几(き)号水準点が刻まれています。
みたいな記号は日光道中でも時々見かけているけど、久しぶりだな〜。
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さて、小林家は屋号を「立場」というそうで、当家が上組の立場跡。
ひとつ前の出口の立場跡も民家でした。
立場というと公共の休憩施設というイメージがあるけど、茶屋から発展した施設なんだね〜。
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2019年01月20日

奥州道中白沢宿 その23

4車線だった県道125号白沢街道は、下川俣町交差点を過ぎると片側1車線となります。
海道町交差点の100mほど手前左手の民家が高札場跡。

そして、海道町交差点を左折してちょっと寄り道。
100mほど入ると海道町公民館があり、この付近が海道新田一里塚跡。
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初期の奥州道中が現在より西側を通っていて、公民館付近には壱里塚という小字が残されています。
日光道中でも明治期に道筋が付け替えられ、国道4号の左側に残された旧道をいくつか歩いたけど、さすがに江戸時代に付け替えられた初期奥州道中は残っていません。
ましてや、地名が海道「新田」なので、一里塚すら耕して田んぼにしちゃったんでしょう。
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2018年11月16日

奥州道中白沢宿 その22

35分の昼食で外に出ると、新しめの切り株が…。
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以前は並木だったのかな?と、帰宅後にストリートビューで過去の画像を見ると、何と!街道名残のサワラが3本並んでる!
この1年半の間に伐採されてしまったのかぁ。
残念!(>_<)
ということで、↓Googleストリートビュー2015年10月の画像です↓

ありゃ〜、Googleマップを眺めていたら、旧道の蛇行跡は堀切川の手前左側だけじゃなくて、橋を渡ってから右側にもあり、歩道が外側に膨らんでいる!
旧道は堀切川の前後で今より左に右に蛇行していたのが、道路改修でほぼ真っ直ぐに矯正されてしまったんだね。
予習の時はこの周辺で食事処を探していたので、全然気がつかなかった…ガクッ。
_| ̄|◯
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